松浦美穂さん | フロムパーソナリティ― | プレミアムライフ -PREMIUM LIFE - |プレミアムライフ ハイソサエティライフのためのWebマガジン【Premium Life】

ヘアドレッサーとは髪を切りながらその人のライフスタイルを描くこと

ヘアドレッサー 松浦美穂さん

Photographs by Kai Kiuchi

twiggy your sanctuary

http://www.twiggy.co.jp/

PROFILE

美容学校で学んだ後、多くの著名ヘアドレッサーを輩出する六本木美容室では24歳で店長を努める。

1988年に渡ったロンドンではオーガニックライフスタイルに目覚め、90年に帰国後自らのヘアサロンTWIGGYを設立し、代表となる。

2009年のモデル・オブ・ザ・イヤーを受賞したTAOさん、そして個性派プロフェッショナルと名高い、上原ひろみさん(ピアニスト)、蜷川実花さん(カメラマン)などが絶大な信頼を寄せるヘアドレッサー・松浦美穂さんは考える前に行動する人である。行動した後検証するように考え、そして必ず何か驚くべきことを構築する。

カメラマンのご主人とご家族で過ごすヴァカンスでは北インドのラダックなど秘境やモロッコなどを訪ねる、味わい深いEVERLASTINGなライフスタイルを過ごしている。

Q.どんな幼少期を過ごされましたか?

私は新日鉄の町、北九州で生まれ育ちました。色イメージで言うとグレイッシュ、海も水がよどんていて波が重かったです。 工場だらけだったので、未来的な街でもありました。 そんな中でグレーによく合う赤が好きになり、幼少期から今に至るまでいつも自分にとっての「キーカラー」は赤です。 ですから、現在のTwiggyの「看板」も赤なのです。 東京の空も北九州の空と同じようなものですから・・・。と言っても東京に到着した時は、北九州より「きれいな空」だとは思いましたけど(笑)。

Q.ヘアアーティストを目指されたきっかけは?

A.母が美容師で美容室を経営していました。7年前私が娘を出産した時、残念ながら母は同時に、まるで娘と入れ替わるように亡くなってしまうという運命的な出来事がありました。 母として妻としてそして美容師として、どれも精一杯やっていた母を心から尊敬しています。その加減の良さで娘たちからも愛され、父からも愛され、そして多くのお客様から愛され・・・。 当時「60年代ファッション」に身をつつみ、逆毛を立てたビッグヘアーにダブルアイラインとつけまつ毛でさっそうと働き、いつも仕事の後、踊っていたスタッフのお姉さんたちからもとても愛されていました。 そんな母やお姉さん達にあこがれた事もあり美容師になりました。

Q.東京に来てからはどんな美容師さんでしたか?

A.踊りが大好き、ディスコに通って朝まで踊り明かす、タバコぷかぷかの不健康、仕事と遊びが直線上に並んで、しかも遊び場で仕事仲間を作ったりすることも楽しんだ時代でした。 私が働いていた有名美容院だった六本木美容室には芸能人がたくさん来ていましたが、24歳のある日、先輩の美容師さんたちが一度期にみんな辞めてしまう!!という大事件がありました。 そして、24歳の私にその支店を任せたのです。その時知ったのが「私はこんなに美容師の仕事が好きだったんだ」という驚きです。オーナーはそれを見抜いていたんでしょうか・・・?

Q.今のようなナチュラル志向に変わったきっかけは?

A.ロンドンに行ったことだったと思います。 当時、オーガニックカフェ&ショップのパイオニア的存在だった「ニールヤード」で働いていたイタリア人の友人達が、とてもオーガニックな食生活をしていて、そのライフスタイルがとってもスマートだったこと、そして私自身がカメラマンの夫と結婚してロンドンで子供が生まれたことで、オーガニックに目覚め生活全般を見直すきっかけを与えてくれました。

Q.生活がかわることで職業的な変化はありましたか?

A.「食」や「香り」が生活に大きく変化を与えました。妊娠、出産という経験をしたのもきっとそのようなこととリンクして起こった奇跡かもしれませんね。 仕事もヘアとメイク完全に別れていて、どちらを選択するかを悩むのにも良い期間だった気がします。 一呼吸できて「冷静な判断」をするカンも養われたような・・・

Q.つまりヘアドレッサーかメイクアップアーティストを選ぶべきかの決断ですね?

A.はい。私はメイクアップが大好きです。女として当然のような気もします。 でも自分自身には“ヘアカット”のように構築していくものの方が合っているのだと思いました。 ちょっと自分にとっては「大変」な方を選んでみる事で、そのハードル超えが更に自分を成長させてくれるような気がしていて、「良い緊張感」が走りました。 そうすれば当然メイクのイメージも湧きますが、そのメイクのイメージを裏切られることで私ひとりの手で出来ることの何倍ものすごい仕事が出来ることに気づきました。

Q.帰国後はどうでしたか?

A.「TWIGGY」を立ち上げました。
60年代のイギリスカルチャーにとても興味があったのでその年代を代表するアイコンモデル「ツィギー」、そして「小枝のような」の意味を持つ「TWIGGY」からエコロジカルな気分を感じ、大木よりしなる小枝のように風になびかれながらしなやかに、という意味も込めて命名しました。 ヘアスタイリストになってからは「髪を切る」ことは「ヘアスタイルを創る」と解釈し、そして更にはお客様のライフスタイルの一部を担うという風に思えました。 自分自身がブレないように、アドバイスしたり誘導できるように自分自身を日々鍛えてタフにしておくこと、そしてきちんと日常を過ごし、良い食事をして血をきれいにして心身ともに健康でいること、そう考え行動するうちに私たちがやらなければいけないことを感じ、「ヘアスタイル創り」と同じ気持ちで2009年9月「オリジナルプロダクツ」を製作、販売するに至りました。

Q.空き時間やヴァカンスはどう過ごしますか?

A.今は屋上菜園をやっているので、11月&12月は新鮮なレタスや水菜が4回も採れました。 秋田ではお米の稲作を7年前からやっていて、毎年、年に3回実際に現地に行って“にわか農業”をやっています。 稲作をするきっかけになったのが7年前北インドのラダックに行ったこと、野菜を作ることになったきっかけは2年前にキューバに行ったこと、ラダックではごみを出さない生活、その生活の為の農業を・・・。 キューバでは都市型有機農業を学びました。私はまず行動してみる、それから検証するというタイプですね。

Q.夢はなんですか?

将来こうするから今こうするという考え方はあまりありません。 漢字の「辛い」という字をみると、今辛くてももう一歩踏み出して(漢字の一を足すと)「幸せ」という字になりますので、夢中になって「今」を過ごしながらその「一歩」のタイミングを考えたいと思っています。 一例ですが、ブランド米として売られているようなお米も実は水質の良くないところで作られていたりするということも残念なので、本当に身体によいものを次世代に伝えてゆきたいと思いますし、都市生活を謳歌しながらも東京都民みんなが家庭菜園をはじめて、自給自足をするということも大事だと思っています。 一言でオーガニックと言っても、誤解されていることもあるので、真実をちゃんと学び、楽しみながらやっていきたいです。最終的には快楽を伴わないと・・・ですよね。 そんな意味では違う職業の人達と知り合って、本当に作るべきものを作るという輪を広げていきたいですね。

Q.松浦さんにとってのEVERLASTINGとは?

A.1960年代に生まれた私の両親の世代は、戦争に負けた後、必死にがんばってくれて繁栄しましたが、もし一つだけ間違ったことがあるとすれば、物質的になりすぎたということかもしれません。 私達の世代の役割はもっとシンプルに正直に、自分達の夢と前の世代から受け継がれた伝統の知識や知恵を上手に融合させながら次世代に伝えていくこと。 人のからだに優しく地球環境を考慮してひとつひとつ見直していく作業はきっと永遠に続くのだと思います。子供達やその次の子供達までもずっと・・・。

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